栽培伽羅
沈香は人の手でつくれるのか — 「人工沈香」の研究と、栽培沈香のいま
沈香の香りの成分を、木を使わずにつくる研究は実際に進んでいます。ただし2026年の時点でできているのは成分の一部までで、焚ける香木はつくれていません。人の手が関わった沈香として、いま手に入るのは、植えた木に傷を与えて樹脂をつくらせた栽培沈香です。樹脂をつくるのは木自身で、仕組みは野生と同じですが、香りまで同じではありません。
目次
「人工沈香」は、三つの別物を指しています
「人工沈香」という言葉を見かけたとき、それが何を指しているかは、書いた人によって違います。日本語の通販サイトや記事で実際に使われている意味を整理すると、三つに分かれます。
一つめは、偽物や粗悪品という意味。 「天然沈香」と対に置いて、香りが単調、持続が短い、比重が軽い、油線(樹脂が筋になって見える部分)が不自然——と続く使い方です。個人のブログや買取業者の記事に多く見られます。
二つめは、栽培品という意味。 東南アジアの産地で人工栽培が行われるようになり、幹に穴を開けるなどして樹脂の分泌を促す——という趣旨の説明とともに使われる「人工栽培の沈香」です。老舗の解説記事に見られる、中立な使い方です。
三つめは、研究用語としての意味。 沈香の香りの成分をつくる仕組みを研究している分野では、「香りの成分を高含量で生産する沈香」という意味で「人工沈香」という語が使われています(森田・史 2022)。
同じ四文字を三つの意味で使っているために、「人工と書いてあれば偽物」「栽培は人工だから偽物」という短絡が起きます。この記事では、三つを分けたうえで、研究がどこまで来ているのか、栽培沈香はそのどこに位置するのかを、論文と公的機関の発表で確かめていきます。
「天然の沈香」と「栽培沈香」の記事で「天然」の二つの意味を整理したのと同じ作業を、今度は「人工」について行います。
研究は、どこまで来ているのか
沈香の香りをつくっている主な成分は、セスキテルペン類と、2-(2-フェニルエチル)クロモン類(以下、クロモン類)の二つのグループに分けられます。研究は大きく二つの線に分かれます。一つは、木に結香(けっこう=樹脂を沈着させること)させる効率を上げる線。もう一つは、木を使わずに成分そのものをつくる線です。年代順に、両方を追います。
2013年:木全体に結香させる方法。 中国の研究グループが、誘導剤を輸液器(点滴の器具)で幹に入れ、木が根から吸い上げた水を葉から逃がす力(蒸散)で木全体に行き渡らせる方法(通体結香)を報告しました。処理から6か月で伐った木の収量が従来の方法の4〜28倍あったとされています(Liu ら 2013)。これは木に結香させる効率を上げる線の研究です。技術としては実在します。ただし普及の程度を示す数字は開発した側の発表によるもので、当店が産地で見てきた範囲では、奇楠系統の畑で使われているのを見たことはありません。当店の考え方は結香の記事に書きました。
2019年:誘導法の総説。 結香を促す方法は、物理的な傷(釘打ち、穿孔、焼灼、幹の切断、樹皮剥ぎなど)、菌の接種、化学的な誘導剤に整理され、物理的な傷と薬剤を組み合わせた方法も紹介されています(Tan ら 2019)。同じ総説は、クロモン類とその誘導体の一部は化学合成が可能になっているものの、生合成の経路には未解明の段階が残ると述べています。
2022年:鍵となる酵素の発見。 富山大学和漢医薬学総合研究所の森田洋行教授らの国際共同研究グループが、クロモン類の骨格を組み立てる酵素(PECPSと名付けられました)を同定しました(Wang ら 2022)。材料にしたのは白木香(Aquilaria sinensis)の培養細胞です。この酵素の遺伝子を実験でよく使われるタバコ属の植物に入れ、材料になる物質を与えたところ、クロモン類ができることが確かめられました。白木香の培養組織では、次の項で触れるとおり、クロモン類はすでにつくられています。大学の発表文は、この成果が「人工沈香の栽培に繋がる可能性がある」と書いています(富山大学和漢医薬学総合研究所 2022)。この研究が見据えているのは、フラスコの中で香木を合成することではなく、木を育てて結香させる方法の効率化です。
2023年:培養細胞の到達点。 同じグループの総説は、白木香のカルス(培養組織)に塩ストレス(塩分による刺激)をかけてクロモン類をつくらせたことを報告しています(一次報告は Wang ら 2016)。一方で、他の生物に遺伝子を入れて類縁体をつくるのは「今後の展望」だとしています(Morita ら 2023)。同じ総説には、各国で試みられている人の手による結香は、手間の割に品質が概して劣り、沈香として認められないこともある、という厳しい指摘も書かれています。これは世界の人の手による結香一般についての記述です。あとで改めて触れます。
2024年:木を使わない合成。 緑藻の遺伝子を組み換えて、沈香に含まれるのと同じ種類のセスキテルペンを大量につくらせ、化学処理を加えてテルペンの混合物を得た研究が発表されました(Gutiérrez ら 2024)。ただし論文が言っているのは「沈香に見られるようなテルペンの混合物」までです。この混合物にはクロモン類が入っていません。 香木の香りをつくる二つのグループのうち、片側だけということです。
2025年:蘭奢待(らんじゃたい)の香りの再現。 宮内庁正倉院事務所が正倉院の香木「黄熟香(おうじゅくこう)」(蘭奢待)の脱落片を分析し、300を超える物質が検出され、量がもっとも多かったのは3-フェニルプロピオン酸だったと報じられました(科学技術振興機構 2025)。香料会社の調香師が、実際に蘭奢待の香りを嗅いだ記憶と分析の結果をもとに、ラブダナム(地中海沿岸に育つ低木から採る樹脂状の香料)を基調に、甘いバニラ系やスパイシーなアニス系の香りを足して再現しています。再現されたのは香りであって、香木がつくられたわけではありません。
ここまでを一文にまとめると、こうなります。香りの成分の一部は木の外でつくれるようになったが、香木はつくれていない。
香木は、セスキテルペン類とクロモン類という二つのグループの成分が、木部という担体(成分を抱える土台)に何年もかけて沈着したものです。成分の一部をつくることと、その総体を再現することは、別の問題です。
栽培沈香は、「人工沈香」なのか
三つの意味のうち二つめ——栽培品という意味——で言えば、当店の材も「人工沈香」と呼ばれることがあります。ただ当店は、扱っている材をこの言葉では呼びません。一つめの意味(偽物)と混ざるからです。
栽培沈香の定義は、単純です。樹脂をつくるのは木。人が与えるのは傷です。 幹に穴を開けると、木は傷に対する防御反応として樹脂を分泌し、何年もかけて木部に沈着させます。この仕組みは、野生の沈香樹が落雷や虫害で偶然傷ついたときに起きていることと同じです。人がつくった樹脂を木に入れているわけではありません。
傷の与え方には、2019年の総説のとおり、物理的な傷(穿孔など)、菌の接種、薬剤の注入、それらの併用があります。当店の提携農園が行っているのは穿孔(打眼)だけで、菌の接種や薬剤の注入をした材は扱っていません。方法ごとの違いは結香の記事に書きました。
ここで、2023年の総説にあった指摘に戻ります。各国で試みられている人の手による結香は、手間の割に品質が概して劣る——当店も、これを事実として受け止めています。世界中で行われている人の手による結香の多くが、野生の沈香の代わりとして評価されるには至っていない、ということです。
当店はこれに対して、「当店の材は例外だ」とは言いません。品質の評価そのものを覆す材料は、当店にはありません。いまの栽培伽羅と野生の伽羅とでは、香りにはっきりとした隔たりがあります。
そのうえで、野生と栽培とでは成分の組成が違っていた、という分析があります。 野生の奇楠(きなん)系統の材と栽培の奇楠系統の材を同じ条件で分析した研究では、同定された化合物の数は野生56種に対して栽培40種で、野生からしか検出されない系統のセスキテルペンがある一方、主要なクロモン類の含有率は栽培のほうが高いという結果でした(Yang ら 2021)。この研究を引いたのは、野生と栽培を同じ条件で比べた数少ない分析例だからです。なお、奇楠と伽羅は、産地と日本の香道でそれぞれ別の基準で使われる言葉で、一方が他方の訳語ではありません。
ただし、この結果には条件が付きます。試料は野生7点・栽培22点で、野生側には A. agallocha と A. sinensis の二つの樹種が含まれ、栽培側は A. sinensis の接ぎ木だけでした。そして栽培側の材は、幹に穴を開けてから約10か月で採られたものです。当店の提携農園は穿孔後2〜3年(長いもので4年)置きます。同じ奇楠系統のクローンで6か月・12か月・24か月を比べた別の研究では、期間が延びるほどセスキテルペン類が増え、クロモン類は減ると報告されており(Li M ら 2025a)、上の差の一部は、野生と栽培の違いではなく、結香の期間の違いによるものかもしれません。いずれの研究も、当店の材を測ったものではありません。
含まれるものが違う以上、同じ物差しに載せて優劣を付けられる関係ではない——これが当店の見方です。当店が栽培伽羅を野生の伽羅の物差しで語らない理由は、栽培伽羅とはに書いています。
四つを並べてみる
野生、栽培、研究室の「人工」、偽物。四つを同じ表に置くと、何が同じで何が違うかが見えます。
横にスクロールできます
| 野生 | 栽培(当店の材) | 研究室の「人工沈香」 | 偽物 | |
|---|---|---|---|---|
| 樹脂をつくるのは | 木 | 木 | 樹脂はできていない(酵素・培養細胞・微生物で、香りの成分の一部をつくる) | 木ではない(樹脂や香料を外から足す) |
| きっかけ | 偶然の傷、虫、菌 | 人が開けた孔 | 人が設計した反応系 | — |
| いまの状態 | 野生の木のうち、沈香として使えるのは数%にすぎないとされる(Morita ら 2023) | 産地で栽培されている | 成分の一部まで。焚ける香木は未達 | 市場に実在する |
| かかる年数 | 数十年 | 当店の提携農園では定植から約4年で穿孔、穿孔後2〜3年(長いもので4年) | — | — |
| ワシントン条約 | 附属書II | 附属書II(栽培品も原則として対象) | 材ではないため別の問題 | 材が沈香なら対象 |
表の一行目が、この記事でいちばん伝えたいことです。野生と栽培は、樹脂をつくる主体が同じです。 仕組みのうえで違うのは、傷のきっかけと、かかる年数です。ただし、できあがる材の成分と香りまで同じではないことは、先に書いたとおりです。
偽物は、どこが違うのか
表の右端、偽物の列について補っておきます。
偽物の共通点は、樹脂や香りを外から足していることです。樹脂の少ない材に油を染み込ませる、圧縮して比重を上げる、着色する、沈香ではない木に合成香料を付ける——方法は違っても、材を実際より良く見せるために、何かを足したり施したりしている点で同じです。
このことは、顕微鏡で確かめられる場合があります。沈香の木の材には、介在師部(かいざいしぶ)という、木部の中に師部——養分の通り道——が島のように散らばる組織があります。本物の沈香では、ここに樹脂が自然に、安定して分布しています。2024年に発表された研究では、真正と確認された20点の試料すべてでこの分布が見られました。一方、市場で集めた18点のうち、真正の微細構造を示したのは10点で、そのうち5点は樹脂の量がわずかでした。残る8点には、この構造が見られませんでした(Feng ら 2024)。同じ研究では、樹脂のない沈香樹の材や普通の沈香材を各種の抽出液で90℃・12時間蒸煮して、外から樹脂を含ませた試料もつくりましたが、いずれも介在師部に樹脂は蓄積していませんでした。ただしこの研究が人為試料として試したのは抽出液で蒸煮したものだけで、高圧での注油や機械的な圧縮は検証の対象に入っていません。
つまり偽物との分かれ目は、出自ではありません。 この研究が偽物と分けた基準——樹脂を木がつくったかどうか——で言えば、栽培沈香は、樹脂をつくるのが木自身である以上、野生と同じ側にあります。見分け方の実際は偽物と見分け方の記事と沈水の記事に書きました。
「沈香は自分でつくれるのか」への答え
検索でよく見かける、この問いにも答えておきます。
理屈のうえでは、できます。アクイラリア属の木を植え、数年育て、幹に穴を開け、さらに数年待てば、木は樹脂をつくります。それが栽培沈香です。
現実には、家庭で行う方法ではありません。アクイラリア属はワシントン条約の附属書IIに掲載されていて、栽培品も原則として対象です。苗や材の輸出入には書類が必要です(ワシントン条約の記事)。熱帯の木で、日本の露地で育つ種でもありません。そして穴を開けてから採取まで、当店の提携農園で2〜3年、長いもので4年かかります。
研究室で香りの成分をつくる方法は、先に書いたとおり、材をつくる技術ではありません。ですから「自分でつくれるのか」への答えは、いまのところ一つです。木に、つくってもらう。 産地の農園でそうして採れるのが栽培沈香で、当店が扱っている栽培伽羅もその一つです。
当店の言葉の使い方
当店は、扱っている材を「人工沈香」とは書きません。偽物の意味と混ざるからです。同時に、「天然」とも書きません。野生の意味と混ざるからです。
代わりに、出自は「栽培」、加工は「無添加」と、二つに分けて書いています。材は本物のアクイラリア属で、樹脂は木がつくったもので、着色も注油も圧縮もしておらず、香料も使っていません。工程にあるのは洗浄、切断、剔除(てきじょ=樹脂の乗っていない部分や腐った部分を削り落とすこと)、乾燥、選別、熟成という物理的な作業だけです(加工工程の記事)。
研究が進んで、いつか木の外で香木がつくられる日が来るかもしれません。そのときは、また言葉を決め直します。いまの時点で、人の手が関わった沈香として手に入るのは、木に結香させた栽培沈香だけです。
参考文献
- Wang et al., 2022. Identification of a diarylpentanoid-producing polyketide synthase revealing an unusual biosynthetic pathway of 2-(2-phenylethyl)chromones in agarwood. Nature Communications 13: 348. https://doi.org/10.1038/s41467-022-27971-z
- 富山大学和漢医薬学総合研究所, 2022. 研究成果(2022年1月17日、沈香の香り成分の生合成に関わる鍵酵素の発見). https://www.inm.u-toyama.ac.jp/result/2022_0117/
- 森田洋行・史社坡, 2022.「人工沈香の開発に繋がる『沈香の香り成分生合成』に関わる鍵酵素」『におい・かおり環境学会誌』53(4): 242–253. https://doi.org/10.2171/jao.53.242
- Morita et al., 2023.(総説)Identification of a diarylpentanoid-producing polyketide synthase in the biosynthesis of 2-(2-phenylethyl)chromones in agarwood. Journal of Natural Medicines 77(4): 667–676. https://doi.org/10.1007/s11418-023-01743-5
- Wang et al., 2016. Salinity stress induces the production of 2-(2-phenylethyl)chromones and regulates novel classes of responsive genes involved in signal transduction in Aquilaria sinensis calli. BMC Plant Biology 16: 119. https://doi.org/10.1186/s12870-016-0803-7
- Gutiérrez et al., 2024. A synthetic biology and green bioprocess approach to recreate agarwood sesquiterpenoid mixtures. Green Chemistry 26(5): 2577–2591. https://doi.org/10.1039/d3gc03708h
- Tan et al., 2019. Agarwood Induction: Current Developments and Future Perspectives. Frontiers in Plant Science 10: 122. https://doi.org/10.3389/fpls.2019.00122
- Liu et al., 2013. Whole-tree Agarwood-Inducing Technique: An Efficient Novel Technique for Producing High-Quality Agarwood in Cultivated Aquilaria sinensis Trees. Molecules 18(3): 3086–3106. https://doi.org/10.3390/molecules18033086
- Yang et al., 2021. The Characteristic Fragrant Sesquiterpenes and 2-(2-Phenylethyl)chromones in Wild and Cultivated “Qi-Nan” Agarwood. Molecules 26(2): 436. https://doi.org/10.3390/molecules26020436
- Li M et al., 2025a. Characterization and Analysis of 2-(2-Phenylethyl)chromone Derivatives and Sesquiterpenoids from Agarwood of Four “Qi-Nan” Clones (Aquilaria sinensis) with Different Induction Times. Molecules 30(2): 352. https://doi.org/10.3390/molecules30020352
- Feng et al., 2024. Resinous included phloem as a key indicator of authentic or fake agarwood. PLOS ONE 19(12): e0312102. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0312102
- 科学技術振興機構 Science Portal, 2025. 正倉院の香木「蘭奢待」の成分分析と年代測定に関する報道(2025年9月1日). https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20250901_n01/
よくあるご質問
人工沈香とは何ですか?
使う人によって指すものが違います。偽物や粗悪品の言い換えとして使う人、栽培沈香(人の手で結香させた沈香)の意味で使う人、そして研究の世界で「香りの成分を高含量で生産する沈香」を指す用語として使う人がいます。同じ四文字が別のものを指しているので、見かけたときはどの意味かを確かめるのが確実です。
天然沈香と人工沈香の違いは何ですか?
「天然」にも「人工」にも二つ以上の意味があるため、一言では答えられません。野生か栽培かという出自の違いと、樹脂が木のものか、あとから足したものか(本物か偽物か)という違いは、別の軸です。栽培沈香は出自は栽培ですが、樹脂は木自身がつくったものです。偽物は出自にかかわらず、樹脂や香りを外から足しています。
栽培沈香は偽物ですか?
偽物ではありません。木は本物のアクイラリア属で、樹脂は木が自分で分泌したものです。人が与えるのは傷などのきっかけだけで、防御反応として樹脂をつくる仕組みは野生と同じです。ただし奇楠系統の材では、野生と栽培で成分の組成に違いがあったという分析例があり(数少ない例の一つです)、当店は栽培品を野生品と同じ物差しで語らないことにしています。
沈香ができるまで何年かかりますか?
方法によります。当店の提携農園では、定植から約4年で幹に穴を開け、穿孔後2〜3年(長いもので4年)で採取しています。野生の沈香は偶然の傷から数十年かけて樹脂を溜めたものです。研究室で香りの成分をつくる方法は、そもそも材をつくる技術ではないため、年数という尺度が当てはまりません。
沈香は自分でつくれますか?
木を植えて数年育て、傷を与え、さらに数年待てば、理屈のうえでは可能です。ただしアクイラリア属はワシントン条約の附属書IIに掲載されていて、苗や材の国際取引には書類が必要です。日本の露地で育つ種でもありません。家庭で現実的な方法ではありません。当店が扱っているのは、産地の農園で行われている栽培によるものです。