楽しみ方
香りを言葉にする — 香道の五味と、栽培伽羅の産地の言い方
日本の香道では香木の香りを五味(甘・酸・辛・鹹・苦)で言い表し、性格によって六国に分類してきました。栽培伽羅の産地の香木業界では甜(甘さ)・涼(冷たさ)・清(澄んだ感じ)・奶香(乳のような甘さ)といった語彙が使われます。どちらも、味覚の言葉を借りて嗅覚を記述する方法です。
「良い香り」では、記録が残らない
香木を何種類か焚いていると、そのうち困ることが起きます。
先週焚いたあれと、今日のこれと、どう違ったのか。思い出せない。手元に残っているのは「良かった」という印象だけで、何が良かったのかが言葉になっていない。
香りは記憶に残りにくい感覚です。視覚なら写真が撮れるし、音なら録音できる。香りには、その手段がありません。だから昔から、言葉のほうを鍛えてきたのだと思います。
香道の答え — 五味
香道では、香木の香りを五つの語で言い表します。
甘(あまい)・酸(すっぱい)・辛(からい)・鹹(しおからい)・苦(にがい)。
実際に舌で味がするわけではありません。嗅覚の印象を、味覚の語彙に翻訳している。奇妙なやり方に見えますが、使ってみると案外うまくいきます。「甘い香り」は誰にでも通じるし、「苦い香り」も何となく分かる。
鹹(かん)だけは少し難しい。海のような、潮の気配のような、と説明されます。分からなくても気にしなくていいと思います。私も自信がありません。
そして香木の性格を六つに分ける六国(りっこく)——伽羅・羅国・真那賀・真南蛮・寸聞多羅・佐曽羅——と組み合わせて、「羅国で甘辛」といった言い方をします。
この体系の良いところは、五味の組み合わせで書けば他人に伝わることです。個人の感想を、共有できる記述に変える仕組みになっている。
産地の答え — 涼・留香
一方、栽培伽羅の産地の香木業界には別の語彙があります。日本語ではあまり紹介されていないので、並べておきます。
甜(てん) — 甘さ。ただし日本語の「甘い」より範囲が広く、蜜のような甘さから乳のような甘さまで含みます。
涼(りょう) — 冷たさ。鼻に抜けるときのひんやりした感覚。伽羅系統の材を評価するとき、最も重視される語のひとつです。
清(せい) — 澄んでいること。雑味がないこと。
奶香(ないこう) — 乳製品のような甘さ。ベトナムの一部の伽羅系統の材には特に強く出るとされ、焚く前から菓子のような香りがする、と言われます。
穿透力(せんとうりょく) — 香りの浸透する力。部屋のどこまで届くか。
留香(りゅうこう) — 香りの持続。普通の沈香は数分で薄れるのに、伽羅系統は三十分経っても香っている。そういう比べ方をします。
生聞(せいぶん)/熟聞(じゅくぶん) — 常温のまま嗅いだときの香りと、加熱してからの香り。伽羅系統の材は生聞の段階ですでに香るのが特徴とされます。
二つの体系は、見ているところが違う
並べてみると、性格の違いがはっきりします。
香道の五味は香りの質を分類しようとしています。甘いか、苦いか、辛いか。どういう性格の香りなのか。
産地の語彙は香りの振る舞いをよく見ています。涼しさがあるか、どこまで届くか、どれだけ続くか、火を入れる前から香るか。時間と空間の中で香りがどう動くかを言い表そうとしている。
どちらが優れているという話ではないと思います。ただ、栽培沈香を選ぶときには産地の語彙のほうが役に立つ場面が多い、というのが正直な実感です。栽培品の当たり外れは、香りの性格より「立ち上がりの早さ」「持続」「雑味の有無」に出ることが多いからです。どれも産地の言葉の側にある概念です。
当店が六国を使わない理由
当店は、商品を六国に当てはめていません。
六国は野生の香木を前提に、何百年もかけて組み立てられた分類です。そこに栽培品を持ち込むと、基準そのものが崩れます。「栽培の羅国」と書けば売りやすくなるのかもしれませんが、それは香道の世界に対して不誠実だと思っています。
だから当店の分け方は等級だけです。通常品と沈水選別品。樹脂の量で分けた、素っ気ない区分です。香りの性格は、焚いた方ご自身の言葉に委ねることにしています。
自分の言葉で書きとめてみてください
焚いたときの印象を、メモでも手帳でも構わないので、ひとこと書きとめてみてください。
同じ材でも、器具と温度と部屋の湿度で香りは変わります。日を置いて焚くと、前と違う言葉が出てくることもあります。それも含めて記録です。
書くときのコツを一つだけ。最初に浮かんだ言葉をそのまま書くのがいいと思います。「炊きたてのごはん」でも「雨の日の土」でも構いません。五味に当てはめようとすると、たいてい嘘になります。
言葉が溜まってくると、次に選ぶときの基準が自分の中にできます。そこまで来れば、店の説明文はもう要りません。
よくあるご質問
五味とは何ですか?
香道で香木の香りを言い表すために使う五つの語です。甘(あまい)・酸(すっぱい)・辛(からい)・鹹(しおからい)・苦(にがい)。実際に味がするわけではなく、香りの印象を味覚の言葉に置き換えたものです。
六国(りっこく)とは?
香道における香木の分類で、伽羅・羅国・真那賀・真南蛮・寸聞多羅・佐曽羅の六つを指します。もとは産地に由来する呼び名とされますが、現在では香りの性格による分類として扱われています。
栽培伽羅も六国に当てはめられますか?
当てはめていません。六国は野生の香木を前提に組み立てられた分類で、栽培品を持ち込むと基準が壊れます。当店は等級(通常品・沈水選別品)で分けるにとどめています。
産地の言い方を知る意味はありますか?
栽培伽羅の主な産地は中国とベトナムです。産地がどういう言葉でその材を評価しているかが分かると、選ぶときの手がかりが増えます。特に伽羅系統の材は、産地の語彙のほうが実態に近い場合があります。